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斎藤学 (精神科医) : ミニ英和和英辞書
斎藤学 (精神科医)[さいとう さとる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とき]
 【名詞】 1. meals exchanged by parishioners and priests 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [がく]
 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge 
: [せい]
 【名詞】 1. spirit 
精神 : [せいしん]
 【名詞】 1. mind 2. soul 3. heart 4. spirit 5. intention 
精神科 : [せいしんか]
 【名詞】 1. psychiatry 
: [かみ]
 【名詞】 1. god 
: [か]
  1. (n,n-suf) department 2. section 
: [い]
  1. (n,n-suf,vs) medicine 2. the healing art 3. doctor 4. cure 5. healing 6. quenching (thirst) 

斎藤学 (精神科医) : ウィキペディア日本語版
斎藤学 (精神科医)[さいとう さとる]

斎藤 学(さいとう さとる、1941年 - )は、日本の精神科医東京都生まれ。
1959年麻布高校卒。1967年慶應義塾大学医学部卒業。フランス政府給費留学生、国立療養所久里浜病院精神科、東京都精神医学総合研究所などを経て、1995年より家族機能研究所代表。日本子どもの虐待防止研究会理事。日本嗜癖行動学会理事長。
== 概要 ==
人の嗜癖行動が、その人の家族関係や成育歴と密接なかかわりを持つということに、1980年代からいちはやく気づいた。
小児科が児童虐待を見逃す場合、または精神科医がその後遺症に無関心という場合、法律家が死体となった児童にしか関心を示さないなどで児童虐待を見逃している、と批判して「児童虐待」という概念を本格的に日本に定着させた。それ以前、日本において児童虐待という語彙はあったが、実際に行なわれている児童虐待をそのように呼ぶことはあまりなかったのである。
 実際、日本の児童虐待は「しつけ」の名のもとに行われていたので、合法だったし、それを虐待と考える素地もなかった。当時日本の社会は、父権社会であり、「おやじ」は、地震や雷と同様な理不尽さがあったし、まだ地震や雷等の自然現象は科学的研究の対象であったが、「おやじ」はそうではない。
また、この事と関連して、1970年代から1980年代までは、家庭内暴力と言えば、暴れる中高生の問題で、親の子供に対する暴力については認知されていなかった。親が子供に手を上げるのは当然の親権だった。子供たちが暴れ始めても尚、何が原因なのか考えたり、虐待の問題に気づく人は全くというほどいなかった。単に不良少年の問題で片付けられていたのである。
おそらく彼の名が一般に知られるようになったきっかけは、共同通信社が全国43紙に配信した連載「仮面の家」である(横川和夫著)。この連載は、たいていその地域で最も読まれている新聞に連載されたため、アダルトチルドレンという用語と共に多く知られることとなったのである。ただし関東では東京新聞で連載され、また中日新聞では連載されなかったこともあり、関東や東海地方や関西では知名度は低かった。連載は後に同名で単行本化されたが、「あとがき」によると、斎藤や著者など連載に登場した人にはひっきりなしに電話がかかるようになったという。
親から自分をとり戻すための本―「傷ついた子ども」だったあなたへ』日本語訳文庫版(1999年)では解説を担当した〔『親から自分をとり戻すための本―「傷ついた子ども」だったあなたへ』(原著作者マーガレット・ラインホルド。1990年出版の書物の1995年の日本語訳の文庫版。1999年) 374ページ ISBN 4-02-261257-6〕。
「アダルトチルドレン」を日本に紹介したのも彼であるが、定義を誤解したまま乱用するマスコミや学識者に愛想を尽かし、1990年代後半から、彼自身はこの用語を用いる事は全くしなくなった。そのかわりに提唱されたのがアダルトサヴァイヴァーなどの用語である。
近親姦の話を彼は初め、「ファンタジー」としてカルテに書いていたが、ある女性から、自分と弟は父から性被害に遭い、弟は精神分裂病と言われているとの電話を受け、この頃からこの問題に彼は深く立ち入るようになった〔『子供の愛し方が分からない親たち』(斎藤学、1992年) 197・198・204~206ページ ISBN 4-06-206144-9〕。
1990年代半ばになって、アメリカで過誤記憶論争が起こり、父による娘の性的虐待をめぐるジュディス・ハーマンの理論が、多くはカウンセラーによって作り出された贋の記憶だと主張する被告側が、一時的に法廷闘争で有利になった。日本では矢幡洋などが『危ない精神分析』を出版し、被告側すなわち虐待した(かも知れない)親の立場を擁護したが、そのさいにも斎藤は、信田さよ子らと、原告側すなわち虐待された(かも知れない)子どもたちの立場で論陣を張った。

結果的に、日本では同じ構図を持つ問題はもちあがったものの、アメリカであったようなメモリー・ウォーと呼ばれる大々的な法廷闘争に発展することはなかった。
のちに斎藤は、患者が訴える近親姦の挿話がたんなるファンタジーではなく、日本においても記憶の回想によるものであることを実証的に提示していった。たとえば、1993年に過食症の女性患者52名、比較群の健康女性52人に近親姦の被害調査を行ったところ、健康女性の2%、過食症の女性患者の21%が18歳までに近親姦の被害に遭っているという結果が得られた例を挙げている〔『家族の闇をさぐる—現代の親子関係』(斎藤学、2001年) 169・170ページ ISBN 4-09-387247-3〕。
一方では、社会学の立場から近親姦の問題への精神医学の対応を批判したレイチェルなどの批判を受け入れ、精神科医の自戒をうながす書物も訳しており、斎藤がこの問題に関して多方面に耳をかたむけ、謙虚に向かい合ってきたことがうかがわれる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「斎藤学 (精神科医)」の詳細全文を読む




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